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2015年8月 4日 (火)

公園にて。



みなさんこんばんは!

今日は暑くて豆太郎が寝てくれないので、仕方なしにドライブしました。

って言ってもあたしも眠いので近くの温泉の駐車場に車を止めて涼んでいたのだけれど、なんせ猫が多いの、そこ。

可愛いのよ、黒いのが沢山いて。

猫好きな人は顔で雄か雌か分かると思うけど、そこには雄も雌もいて、しかも雌は痩せて、お乳に吸われたあとがあって、きっとどこかに赤ちゃんがいるんでしょう。

別にこういうコミュニティがあってもいいと、頭では分かっているんだけどね、でも、こうして増えては短い寿命で死んでいくであろう猫を見ると胸が詰まる。

自然っちゃ自然なんだけどさ。

でも自然って残酷だよね。

あたしは干からびた土の上を這うカタツムリやミミズなんかを見てもすごく胸が詰まるから、その辺の感情は特別なのかも知れないし「じゃあどんなのが理想なの?」って問われても答えられないけど、でもとにかく、切ない気持ちになる。

こないだ母から「プロフェッショナルで獣医師やってるよ」って電話が来て、「小動物でしょ?見ない見ない」って返事をしつつ録画して、翌日見て号泣しました。笑

何がいいって、「動物を我が子のように大切にしてる飼い主さん」と、「それに応えるべく身を粉にして働く獣医さん」が素晴らしいじゃない!

あたしもこんな風になりたかった…!んだっけ…?

でもさ、やっぱりね、やっぱり思うの。

「対人間」なら動物病院って本当素晴らしいし、あたしも頼りにしてる先生は沢山いるのだけど、やっぱり獣医さんも生きてく為にはお金をもらわなきゃないワケ。

でも、お金を払ってもらえない動物って沢山いるんだ。

病院に連れて行ってもらうほど誰かに大切に飼われている時点で、その動物は、この時代においてはとても幸せな気がする。
ご飯もらって、撫ぜてもらって。死んだら涙を流してもらって、ね。

だけど世の中にはそうじゃない動物も沢山いて、例えばあたしは殺処分される犬猫を減らしたい。

豚の仕事なら病気になる豚を減らしたい。短い命を健康に過ごして欲しい。死んだらあたしが悲しんであげたい。

どんな獣医さんがいい、とかじゃなくて、人はマルチにはなれないから、自分の人生で何を選択するか、だと思うの。

小動物の獣医さんって勉強量も凄くて社会貢献度も高くて、あたしはその職業への憧れは常にあるし、結局いざと言う時は頼り切っているのだけれど、でも自分の役割は違うところにあると思ってる。

そしてね、どんな獣医さんでも全ての動物を治すことは出来なくて、本当の意味で命(生活)を救うことが出来るのは、飼い主さんだけなのよね。

野良猫の命も、家畜の命も、結局1人の獣医師よりも各々の飼い主さんが救うんだ。

それはつまり、共に生きるということで、それこそが動物にとっての幸不幸の決め手になるんじゃないかしら。

小動物の獣医さんもきっと葛藤が多いと思う。世の中、素晴らしい飼い主さんだけじゃないし。
あたしみたいに「野良猫とか助けたい」って思って獣医さんになったかもしれないのに優先すべきは飼い主のいる動物だし。

理想と現実はいろいろ違う。

この短い人生で、全部の理想なんて叶わない。

だから、せめて目の前の動物への、自分なりの最善を尽くしていくしかないんだと思う。

それが犬でも、野良猫でも、豚や牛でも。

それぞれが自分の選択した立場で。

そして今日もあたしは「自分なりの最善」が何なのか分からず悩んでいるところです。笑

あの公園の野良猫が、あたしの同情なんてケッと思うくらい満足して生きていたら良いのだけれど。

生きる、って大変。

大変な中生きているから、応援したくなる。

答えはきっとないのだけれど、つい考えてしまいます。

今日の記事は長くなりました。
たまに外に出ると気持ちがいろいろ動きますね。

みんなが幸せだと最高。
動物の「幸せ」なんてきっと人間よりもシンプルなのに、叶えてあげるのは難しい。
まぁ、基本食べたり食べられたりの世界だからあたしが悩んでも仕方ないんだけど。笑

それでも。

みんな、痛かったり怖かったりしませんように。

では今夜はこの辺で。
おやすみなさい(*^^*)

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