あなたの中の最良のものを
人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。
あなたが善を行うと利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。
目的を達しようとするとき邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。
善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。
けり返されるかも知れません。
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。
結局は、あなたと内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人との間であったことは
一度もなかったのです。
あたしは人生の苦しい時、何度も何度もマザーテレサに助けられてきました。
あたしが高校生の時に彼女は亡くなって、その時沢山の本が出ました。あたしはそれを何冊か買いこみ、写真を切り抜いて下敷きに挟んでいつも見ていました。
若いあたしは、彼女の言葉のひとつひとつに、その姿勢のひとつひとつに感銘を受けていて、彼女みたいになりたいと思っていました。フフフ。何ともおこがましいけれど、本気で思ってたんですね。
あたしは大学を推薦入試で受かったわけなんですが、その時2冊の本をお守りみたいに持って、雪の降る北海道に初めて足を踏み入れました。
一緒に行ってくれたお母さんはハナから落ちると思っていて、校舎を見た時も「もう二度と来ることもないんだからよく見ておくんだよ」なんて言っていて、ホテルで鏡に向かって面接の練習をするあたしに「Xファイル(TV)が聞こえない」なんてことまで言っていたけれど、あたしはこんなに獣医さんになりたいんだからきっと受かると思っていました。
あたしが持っていた本は「野生動物は今」って写真の本と、「マザーテレサ」。
面接で、後に薬理を教わることになる先生に「北海道ではエゾシカが増えて駆除の対象になっていますがあなたはどう思いますか」って聞かれて、あたしは「メスを捕まえてあたしが避妊手術して殺さなくてもいいようにします」と答えました。フフフ。獣医さんになればそんなことが本当にできると信じていたんですね。
でも、本気で思っていたんです。
あたしは獣医さんになれば何でもできると思ってた。
環境ホルモンもなくせるはずだし、野生動物保護だってできるし、あたしが獣医さんになればその辺で鼻水垂らしてる野良ネコは1匹もいなくなるような気すらしていたんです。
でもそうじゃないってのはわりとすぐに分かりました。
大学では実験動物を使った実習が多くて、小腸の一部を使うだけのために何匹もの命を頂きました。去年もおととしも同じ実習をしていて結果がどうなるかは分かっているのに、あたしの年にもその実習は行われた。あたしは小さくても暖かい動物の命を絶つことに抵抗があっていつも泣いていて、そういう意味ではお互いに不幸せだったと思う。
それに「獣医さん」が万能じゃないってのもよく分かってきた。
環境ホルモンなんて、何人もの研究者がカメノコに付く「ナントカ基」みたいな本当に小さな物質の研究を何年もやって、ようやく1つの物質の働きが分かる…みたいなそんな世界だし、
野生動物保護だってあたしは「保護」と「救護」を混乱して考えていたことが分かって、「保護」ってのは何日も森の中で糞や足跡を観察する孤独で半端ないフィールドワークだし、「救護」だって一旦拾って治療した野生動物を自然に戻すことって自然にとっていろんなリスクがあるってことが分かったし、
治療や予防にお金がかかる犬猫に関しては、飼い主(支払主)のいないものをあたしが治療するなんて全然できないんですね。犬猫の獣医さんっていうのは、家畜の獣医さんと似ている側面があって、ペットを通して人を幸せにする仕事なんです。だから逆に、飼い主教育がとても難しくて、自分の正義感や価値観で自由奔放に治療できるタイプの仕事ではないんです。
そんなこんなで、勉強すればするほど、知れば知るほど、現実は本当に厳しかった。
そんな現実をこのあたしが生きていけるなんていう気には全然ならなくて、あたしは最後まで就職が決まらなかった。
野幌のアパートを解約する手続きをしたものの、次にどこに住むかも決まっていなくて、どこかフラフラとした絶望感があった。ジャムとラブを抱えて路頭に迷うんじゃないかという不安…せっかく獣医さんになれるってのにね(笑)
でも獣医さんにはありがちだと思うなー。「獣医」として生きていこうと思うと、わりに道が狭いのよね。文学部とか教育学部とか出た人の方が選択肢が多かったり…するよね?
ともかく国家試験さえ受かればどうにかなるだろうという打算のもとにお勉強だけは必死にやって、その後内科の先生に勧められた今の会社を受けてみた。
青森で試験があったんだけれども、受験の次の日にはアッサリ合格の電話が。一緒に受けた女性も受かったらしくて彼女からこんな電話が来た。
「こんなにアッサリ受かるなんて採点はしたのかしら?よっぽど獣医師が不足していて誰でもいいんじゃないかしら。私…辞退するわ」
え!( Д) ゚ ゚である。
「ちょっと待って!あんたが嫌ならあたしだって嫌だよ!」そう思ったけれどもう3月も半ば。どこかに決めなくちゃあたしは住む家すらない。
そんな感じでなんだか流されるようにして就職したのです(笑)。
その時のことを伊村さんに言うと、「うん、彼女は勘がいいな」だって!
ともかく無事(?)就職が決まったあたしは駄々をこねて買ってもらったスノーボードセットやもう使わないだろうと判断した生化学の教科書(捨てなきゃよかった)、生活用品、水商売時代の衣装なんかをゼミ室に持ち込んで置き去りにし、大事なものは個人に託すことにした。
あたしは何冊かあったうちの「マザーテレサ」を1冊だけ引っ越しの荷物に入れて、他はあたしの指導教員である荒川先生にあげることにした。彼には小さな女の子がいたからね、彼女にと思って。
すると先生は手を止めて「…君は動物のマザーテレサになりたいって言ってたなあ、これからだなあ」なんて話し始めてくれて、あたしはそんな昔のこと覚えててくれたのかって気持ちや照れもなくそんなこと言ってた若い自分が恥ずかしいような気持ちが混ぜこぜになって戸惑ってしまった。
だって就職だって”牛に吹っ飛ばされて怖くなったので豚”である。しかもところてんのように押し出されるように決まってしまったようなものなのだ。
「いやあ、そんなこと言ってたこともあったけれど、恥ずかしい。彼女は偉大で、自分のことだけでいっぱいいっぱいのあたしには近づくこともできないです」そう言うと先生は
「恥ずかしいことじゃないよ、素晴らしいじゃないか。君をマザーテレサみたいだって言う人は今はいないし、これからだって分からないけれど、君がそうあろうとすることは素晴らしいことじゃないか。娘に本を置いて行ってくれるのも嬉しいよ、ありがとう」、そう言ってくれた。
なんだか、泣きそうだった。
そんな理想、とっくに手放していたのに。色んな事、諦めちゃっていたのに。
あたしは手元に残した1冊の本をもう一度開いて読み返し、獣医さんになれたのも彼女のおかげなんだなあ、頑張らなくっちゃなあと思いました。
卒業旅行ではインドに行きましたが、連日の下痢で彼女の施設には行けませんでした。アハハ、あたしらしいね。
そのあと就職して7年。
豚は相変わらず毎日死んでいて、あたしはやっぱり万能獣医ではなくて、それどころか無力さを感じる日々なんだけど、「豚が1日でも1頭でも幸せでいられるようにしよう」という姿勢だけは、マザーテレサを見習っていこうと思っています。
終わりが見えない活動の中でも希望を失わなかった彼女は本当に愛があると思う。
今は簡単に「彼女のように」なんて言えるほど若くはないんだけれど、当時のあたしは一生懸命で不器用で、どこか切なくて愛しいような気がします。そんな当時のあたしの気持ちを少しでも継いでいってあげたいなあと思う。
また彼女の本を読み返してみよう。
なんだかそう思った1日でした。
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