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2012年1月 2日 (月)

あなたの中の最良のものを

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人は不合理、非論理、利己的です。

気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。

気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき邪魔立てする人に出会うでしょう。

気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。

気にすることなく、し続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。

気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。

気にすることなく、作り続けなさい。

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。

気にすることなく、助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。

けり返されるかも知れません。

でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず。


結局は、あなたと内なる神との間のことなのです。

あなたと他の人との間であったことは

一度もなかったのです。

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あたしは人生の苦しい時、何度も何度もマザーテレサに助けられてきました。

あたしが高校生の時に彼女は亡くなって、その時沢山の本が出ました。あたしはそれを何冊か買いこみ、写真を切り抜いて下敷きに挟んでいつも見ていました。

若いあたしは、彼女の言葉のひとつひとつに、その姿勢のひとつひとつに感銘を受けていて、彼女みたいになりたいと思っていました。フフフ。何ともおこがましいけれど、本気で思ってたんですね。

あたしは大学を推薦入試で受かったわけなんですが、その時2冊の本をお守りみたいに持って、雪の降る北海道に初めて足を踏み入れました。

一緒に行ってくれたお母さんはハナから落ちると思っていて、校舎を見た時も「もう二度と来ることもないんだからよく見ておくんだよ」なんて言っていて、ホテルで鏡に向かって面接の練習をするあたしに「Xファイル(TV)が聞こえない」なんてことまで言っていたけれど、あたしはこんなに獣医さんになりたいんだからきっと受かると思っていました。

あたしが持っていた本は「野生動物は今」って写真の本と、「マザーテレサ」。

面接で、後に薬理を教わることになる先生に「北海道ではエゾシカが増えて駆除の対象になっていますがあなたはどう思いますか」って聞かれて、あたしは「メスを捕まえてあたしが避妊手術して殺さなくてもいいようにします」と答えました。フフフ。獣医さんになればそんなことが本当にできると信じていたんですね。

でも、本気で思っていたんです。

あたしは獣医さんになれば何でもできると思ってた。

環境ホルモンもなくせるはずだし、野生動物保護だってできるし、あたしが獣医さんになればその辺で鼻水垂らしてる野良ネコは1匹もいなくなるような気すらしていたんです。

でもそうじゃないってのはわりとすぐに分かりました。

大学では実験動物を使った実習が多くて、小腸の一部を使うだけのために何匹もの命を頂きました。去年もおととしも同じ実習をしていて結果がどうなるかは分かっているのに、あたしの年にもその実習は行われた。あたしは小さくても暖かい動物の命を絶つことに抵抗があっていつも泣いていて、そういう意味ではお互いに不幸せだったと思う。

それに「獣医さん」が万能じゃないってのもよく分かってきた。

環境ホルモンなんて、何人もの研究者がカメノコに付く「ナントカ基」みたいな本当に小さな物質の研究を何年もやって、ようやく1つの物質の働きが分かる…みたいなそんな世界だし、

野生動物保護だってあたしは「保護」と「救護」を混乱して考えていたことが分かって、「保護」ってのは何日も森の中で糞や足跡を観察する孤独で半端ないフィールドワークだし、「救護」だって一旦拾って治療した野生動物を自然に戻すことって自然にとっていろんなリスクがあるってことが分かったし、

治療や予防にお金がかかる犬猫に関しては、飼い主(支払主)のいないものをあたしが治療するなんて全然できないんですね。犬猫の獣医さんっていうのは、家畜の獣医さんと似ている側面があって、ペットを通して人を幸せにする仕事なんです。だから逆に、飼い主教育がとても難しくて、自分の正義感や価値観で自由奔放に治療できるタイプの仕事ではないんです。

そんなこんなで、勉強すればするほど、知れば知るほど、現実は本当に厳しかった。

そんな現実をこのあたしが生きていけるなんていう気には全然ならなくて、あたしは最後まで就職が決まらなかった。

野幌のアパートを解約する手続きをしたものの、次にどこに住むかも決まっていなくて、どこかフラフラとした絶望感があった。ジャムとラブを抱えて路頭に迷うんじゃないかという不安…せっかく獣医さんになれるってのにね(笑)

でも獣医さんにはありがちだと思うなー。「獣医」として生きていこうと思うと、わりに道が狭いのよね。文学部とか教育学部とか出た人の方が選択肢が多かったり…するよね?

ともかく国家試験さえ受かればどうにかなるだろうという打算のもとにお勉強だけは必死にやって、その後内科の先生に勧められた今の会社を受けてみた。

青森で試験があったんだけれども、受験の次の日にはアッサリ合格の電話が。一緒に受けた女性も受かったらしくて彼女からこんな電話が来た。

「こんなにアッサリ受かるなんて採点はしたのかしら?よっぽど獣医師が不足していて誰でもいいんじゃないかしら。私…辞退するわ」

え!( Д) ゚ ゚である。

「ちょっと待って!あんたが嫌ならあたしだって嫌だよ!」そう思ったけれどもう3月も半ば。どこかに決めなくちゃあたしは住む家すらない。

そんな感じでなんだか流されるようにして就職したのです(笑)。

その時のことを伊村さんに言うと、「うん、彼女は勘がいいな」だって!

ともかく無事(?)就職が決まったあたしは駄々をこねて買ってもらったスノーボードセットやもう使わないだろうと判断した生化学の教科書(捨てなきゃよかった)、生活用品、水商売時代の衣装なんかをゼミ室に持ち込んで置き去りにし、大事なものは個人に託すことにした。

あたしは何冊かあったうちの「マザーテレサ」を1冊だけ引っ越しの荷物に入れて、他はあたしの指導教員である荒川先生にあげることにした。彼には小さな女の子がいたからね、彼女にと思って。

すると先生は手を止めて「…君は動物のマザーテレサになりたいって言ってたなあ、これからだなあ」なんて話し始めてくれて、あたしはそんな昔のこと覚えててくれたのかって気持ちや照れもなくそんなこと言ってた若い自分が恥ずかしいような気持ちが混ぜこぜになって戸惑ってしまった。

だって就職だって”牛に吹っ飛ばされて怖くなったので豚”である。しかもところてんのように押し出されるように決まってしまったようなものなのだ。

「いやあ、そんなこと言ってたこともあったけれど、恥ずかしい。彼女は偉大で、自分のことだけでいっぱいいっぱいのあたしには近づくこともできないです」そう言うと先生は

「恥ずかしいことじゃないよ、素晴らしいじゃないか。君をマザーテレサみたいだって言う人は今はいないし、これからだって分からないけれど、君がそうあろうとすることは素晴らしいことじゃないか。娘に本を置いて行ってくれるのも嬉しいよ、ありがとう」、そう言ってくれた。

なんだか、泣きそうだった。

そんな理想、とっくに手放していたのに。色んな事、諦めちゃっていたのに。

あたしは手元に残した1冊の本をもう一度開いて読み返し、獣医さんになれたのも彼女のおかげなんだなあ、頑張らなくっちゃなあと思いました。

卒業旅行ではインドに行きましたが、連日の下痢で彼女の施設には行けませんでした。アハハ、あたしらしいね。

そのあと就職して7年。

豚は相変わらず毎日死んでいて、あたしはやっぱり万能獣医ではなくて、それどころか無力さを感じる日々なんだけど、「豚が1日でも1頭でも幸せでいられるようにしよう」という姿勢だけは、マザーテレサを見習っていこうと思っています。

終わりが見えない活動の中でも希望を失わなかった彼女は本当に愛があると思う。

今は簡単に「彼女のように」なんて言えるほど若くはないんだけれど、当時のあたしは一生懸命で不器用で、どこか切なくて愛しいような気がします。そんな当時のあたしの気持ちを少しでも継いでいってあげたいなあと思う。

また彼女の本を読み返してみよう。

なんだかそう思った1日でした。

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2008年10月 6日 (月)

金木犀のかほり

金木犀のかほり

「金もくせいの匂いがする

あまくて歯が痛くなりそう

秋には恋に落ちないって決めていたけど

もう先に歯が痛い

金もくせいを食べたの

金もくせいも食べたの

だから

歯の痛みにはキス」

…これは山田詠美の、「放課後の音符(キィノート)」って短編集の、「Red Zone」ってお話の中の一節。

あたしはこの小説を中学生か高校生くらいに読んだ。

あたしだけじゃなくその年頃ってまだ「クラブ」や「アンクレット」や「口紅」や「ハイヒール」、「カクテル」、「セックス」に憧れてる年代で、そういう、背伸びした小説を…きっと今も、中学生や高校生が読んでいるんじゃないかなあ。

彼女(山田詠美)はB系…って言ってもいいのか分からないけれど、つまり黒人ファッションが好きで実際黒人と結婚しているんだけれど、彼女の作品にはいくつかのパターンというか傾向があって、恋愛小説(わりと黒人の出現率が多い)とか子供が主人公の学校ものとか、成長期の女性目線のもの(青春のジャンルかしら?)なんかがある。

彼女の描く女性って、それぞれが内に秘めた美しさを持っていて、それがあたしの胸をいつもいっぱいにして、切なく、いとおしい気持ちにさせてくれた。

そしてとにかくお酒やハイヒール、口笛、背中の開いたドレス…ってな感じでカッコイイ女性が物凄く多い。そんな風になりたかった記憶はないんだけれど、自分にはない「大人の女性」の部分にすごく興味があって、ハイティーンご用達のこの小説をあたしも一生懸命むさぼり読んだ(笑)

なぜか最近は彼女の作品を全く読んでいないけれど、それでも冒頭に紹介したこの一節はいつもいつも思い出す。

…って言っても、「金木犀の花」を見たのは去年が初めてで、今年も東京で教えてもらわなかったら気づきもしなかったんだけど。アハハ!

この短編は、ある高校生の恋のお話で、けれど主人公はその友人だ。

友人の「カズミ」は「サエキくん」に好きな人ができたと別れを告げられて、クラスのみんなとサエキくんがいかにひどい男かを聞こえよがしに騒ぎ立てる。

相手は28歳。おばさんじゃないか、負けるはずがないって。

けれど主人公は、彼女達から一歩身を引いていて、こう言うのだ。

「私の好きな女の子たちは、失った恋を皆、ひっそりと処理している。自分の心の中に小さなお墓を作り、埋めてしまいたい恋に、やさしく、やさしく土をかける。そして、かけ終わった後に、こういう素敵な恋をしたのよとお友達に話して見せる。私は、まだ胸を疼かせながらも、小さな恋の埋葬の始末を囁くようにして話す女の子たちに、ずい分と憧れたものだ。」

当のサエキくんは彼を罵る彼女達には全然関心がないそぶりで、なにか違うことを考えている。…そんな様子はカズミをますます惹きつける。

しばらくして落ち着いたカズミは彼の家を訪ねるんだけど、そこでその28歳の女性(レイコさん)とサエキくんが話しているのを見てしまう。

彼女は、カズミが想像していたような髪の毛の長いワンピースを着た女性じゃなく、ショートカットで化粧っ気のない、けれど赤い口紅だけ塗っているボーイッシュな女性だった。

そこで、レイコさんは冒頭にあった台詞を言う。

サエキくんは、ほとんど泣きそうな、ぼうっとした目で彼女を見てる。

…カズミは、その一部始終を見て、サエキくんが自分と付き合っていたときよりもずっと素敵になっていた理由を知る。そして、嫉妬も忘れてレイコさんに憧れを抱く。

……確かその後はカズミはお姉さんの口紅を借りてサエキくんの家に行き、出てきたところをいきなりキスしてビックリしてるサエキくんの唇についた口紅を指でぬぐう…んじゃなかったかなー。(すみません…。忘れちゃったので後はご自分で読んでください)

しかもそのキスの意味は「素敵な女性になって戻ってくる予約のキス」とか、わりと必死な感じだったような…

まあ、とりあえずそんなお話で、当時のあたしはひどく感動し、こんな恋が…つまり、金もくせいで歯が痛くなるような恋がしたいなあって思ったもんだった。(すごくベタで申し訳ないけれど)

しかしさ、恋って自分を無力だったり無敵だったりな存在にクルクルと変えてくれるから、自分的にそれ自体を受け入れられるときと厳しいときってあるよね?安定したいときには恋って逆効果だと思うし。かといって自分で調節できる性質のもんでもないし。

…って読み返してみると、超ウダウダ書いててビックリなんだけど!日本って幸せだねえ(笑)

「いつだって素敵な恋がしたいけれど、安定した心でいたい(逆もしかり)」ってのは、「いつだって一人で気楽にやりたいけれど、やっぱり一人じゃ寂しい(逆もしかり)」ってのと同じで、あたしだけじゃなくきっと皆がそう思うことなんだろうと思う。…え?思わん!?

そんな欲張りなことを言っていられるのも平和な日本に生まれたおかげです。

だから素敵なものや綺麗なものに出会ったときは素直に感動し、かつ相反させ得る迷いの中で戸惑いながら、のんべんだらりと生きていこうじゃありませんか。

放課後の音符(キイノート) (新潮文庫)

放課後の音符(キイノート) (新潮文庫)

著者:山田 詠美

放課後の音符(キイノート) (新潮文庫)

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